常在日常2

Livedoorブログで「常在日常」という日記ブログを書いていましたが、はてなブログへ移行しました。ブログタイトルの由来は常在戦場から。戦場ではないので日常にしてみるかという適当な思いつき。

「目つきが悪いと性格が悪い」という結論に至るまでの根本的な間違い

これは私自身の経験が多分に含まれるので、主観になりますが、多くの方が勘違いをしているので書いておきます。

結論から書きますと、目つきが悪いから性格が悪いのではなく、性格の悪い普通の人が一方的に差別してくるから性格が悪くなるのです。

私自身の経験を書かせていただきますと、私は目つきが悪いとよく言われる人間です。幼い頃から赤の他人に会うと、急に険しい顔をされたり、怯えられたりします。子供の頃はまだいいのですが、中学、高校、そして成人してくると人々の私に対する見方が酷くなっていきます。

私自身の経験から言わせてもらえば、すれ違う際に、いきなり舌打ちされたり、小声で暴言を吐かれたり、酷い時は赤の他人が自転車ですれ違い様に顔にツバを吐かれた事も一度だけあります。話した事もない通行人に、です。

大抵の人は妄想、統合失調とよく言います。私も自分を疑った事がありますが、明らかに私と目が合った時や、すれ違い様の反応を確認しましたし、スーパーの自動ドアで私と相手の二人しかいない時にいきなり「キモい」とすれ違い様に暴言を言われる事も何度かありました。こんな事を何度も実際に経験して(現在進行形)、これも妄想というなら妄想なのでしょうが。

目つきが悪いとよく言われる人が、高校を卒業する頃には町を歩けば、最高で4~5回、最低でも1度は外出時に起こる当たり前の日常です。(少なくとも私は現在進行形です。)



よく人の目を見れば分かると言いいますが、私のように目つきが悪い人間は特によく分かるのです。なぜなら目つきが悪いという自覚があるから。特に人の反応は気になるから毎回目を見て話すクセがつくので、相手の表情がよく分かるのです。わずかな反応や一瞬の表情の硬直といった、見たくない表情の変化を嫌でも感じ取ってしまうのです。

他にも、私自身の経験ですが、高校生の頃、美人で評判の高い現代語の教師がいました。思春期ですし、私自身も密かに憧れていたのですが、課題の件でクラスに伝えてほしいという伝言を受けた時に、「君は何でいつも睨んでるの?こっちは気分悪いよ。」と言われた事があります。もちろん、私は睨んでいるつもりはありませんでした。ただ、普通に相手の目を見て話を聞いていただけです。当然ですが気分が悪いのはこちらなんですが・・・

他にも、例えばレジに商品を持って行った際に、時々ですが女性だと怯えているのが分かりますし、男性だと警戒して相手の態度が厳しくなるという事もあります。目が合った時に顔色が変わる瞬間なんて見慣れたものだし、声色が変わる事もあります。女性だと震え声になる場合があるし、男性だと話しかけた直後とその後で声のトーンが変わります。時には聞こえていないと思っているのか、小声で暴言を吐かれたり舌打ちされた事も一度や二度ではありません。

こちらはどんなに相手を安心させようと工夫して声音を変えたり、友好的に意識して笑顔を作るようにしますが、大抵の人はそのまま反応は変わりません。
酷い時はそのように友好的な態度で接すると蔑んだ笑い(小声で「へっ」って言われたり)や小馬鹿にした様な反応を返されたりするので、もうどうすればいいのかわかりません。結局そんな事をしても意味がないと受け入れてそんな事はしなくなりました。




しかし、いずれも私は「話しかけただけ」なのです。皆さんは想像できますか?ただ普通に町を歩いて、買い物を楽しんだりしているのに、誰かからそのような不快な事をされる、そしてそれが「日常」だという事を。友人でもない、話しかけたこともない人々からされる不快な行為、それが「当たり前の日常」だと。

子供の頃は「みんないいひと」でしたが、大人になり、いろいろな人々と接する内に、上記の内容が「デフォルトの人間の行動」という認識に変えました。ああいう人間にならないようにしようと心がけています。当然そんな事をしない人が普通の人と分かっていますが、あまりに経験が多すぎて、そう思い込まないと自分も赤の他人に同じ事をするようなクズになっていたかもしれませんので。

「ただ、町を歩いていただけなのに・・・」このような思いをすることはもう数え切れない位あります。そして、精神のどん底にまで落ち込むと、鬱や自殺に走る人もいます。私の場合も何日も家に引きこもった事も珍しくありません。ただ、どん底まで沈むと逆に、怒りが湧いてくるのです。「ただ、普通に町を歩いているだけなのに、なんでこんな仕打ちを受けなければならない!なんでこんな態度ばかりされなければならない!お前達は何様だ!ふざけるな!」と。

当然ですがさらに目つきは悪くなります。ですが、このような怒りがないと、外に出る気力さえ失くしてしまうのです。怒りや復讐心が本人の支えになるという事が、体感できますよ(笑)

なので、性格が悪い人は目つきが悪いと語る本やエッセイがありますが、こういうものは何にも理解していないで、「誤解ばかり生み出す害悪」だとハッキリ言えます。

逆なんですよ。目つきが悪いから性格が悪いのではなく、見ず知らずの人に一方的な非難をされるから性格が悪くなるのです。

当然ですが会話をすると大してそんな事は起こらないと言えます。私は色々な派遣やバイトも経験してきましたが、話した事がある方々はそのような事はしませんし、普通に接してくれるので助かります。
なので攻撃的な人というのは、未知に対する防衛行動なのかもしれませんね。


もちろん本当に目つきが悪くて性格が悪い人もいるでしょう。私自身は本当に性格が悪いのを自覚しているので、もう構いませんが、私と同じように目つきが悪いだけで差別を受ける人々が減る事を祈っております。

「ただ、普通に町を歩いているだけなのに・・・楽しくしていただけなのに・・・」という思いを今後も一生持っていくのです。「その人の人生に幸多からん事を。」と考えずにはいられません。

余談ですが地方に住んでいるとこういう事は少ないです。しかし、都心にアクセスできる環境など、人口が密集する地域に近くなるほど上記のような偏見が増えると体感ではありますが多くなりました。ストレス社会ですね。




※ここからは私個人の独白です。ネットやテレビでのインタビュー等で、言葉として出たことだけがその人の全てではないし、誰もが、色々考えている中から、選んだものを言葉として出している。
それが分かる大人な方だけ読んでみてください。



私は写真を撮るのが好きですが、人を写す事は友人や家族であっても本当にごく稀にしかしません。私の写真に人はなるべく残さない予定です。というのも、私が根本的な部分で人間嫌いだからです。(それ以外にも私自身の過去にも色々あって人間嫌いの理由ではありますがそれは割愛します。)

こんな私にも心を許せる友人は少ないですがいます。気にかけてくれる恩人もいますし、感謝もしています。しかし、私は人間という「種族そのもの」があまり好きではないのです。これは私自身の偏見から生まれた結論です。

私は目つきが悪いとよく言われ、偏見の目で見られるのは上記で書きました。物心つく以前からそういう目を知っているので性格が歪んでいる自覚もあります。私の日記ブログですが見てくれる方もいるのであまり深い事は書きませんし、自分の心理や心境を全部文章にするとシャレにならない文字量になるので。(年月や見方によって考え方もガラリと変わるし、一つの事しか考えていないわけではないのでキリがない。)

私が目つきが悪いのを差別されるように、私自身も初対面で目つきの悪い人は心の中で警戒します。ですが態度に出したことはありません(向こうがケンカ腰なら話は別ですが)。そう、私は偏見の目を嫌っているのに、私自身もまた人を偏見の目で見ていることに絶望しているのです。



絶望していた私は無意識に綺麗なもの、美しいものを求めるようになりました。それが、「自然や空」です。なぜ無意識だと分かったのか、それは今、この記事を書いていてやっと、「なぜ人を写す事をめったにしないのか」という自覚が湧いたからです。

当然このブログでは人が写ってしまう場合は赤の他人、友人家族問わずなるべく隠すようにしています。(ハッキリ誰なのか判別できない場合は隠しませんが)プライバシーもあるので細心の注意を払っています。

まぁブログの話は置いといて、私は美しいと感じるものを無意識に追いかけている節があると気づいた話しです。

自然や空、長い年月を経て尚も残る建築物、作品など、人間以外のものに美しさを感じますが、人間の中にも美しいと感じるものがあります。(写真には残しませんが。)

例えば、スポーツ選手が競技で優勝した時の喜びや、努力等何かに打ち込む姿やそれが報われた姿。お祭りで人々の楽しそうな顔はとても美しいと感じます。歴史に残る人々の偉業には畏敬や尊敬、感動すらあります。


人というものの性格や性質(偏見や差別、他を排除する行動。理性を持ちながらそれを抑えられない人間の愚かさ。当然自分自身も含めて。)には全く美しさというものは感じませんが、「人が成し遂げた事」は素直に素晴らしいと感じます。


要約すると、「人間の性格や性質は嫌いだけど人間の偉業や結果は素直にすごいし尊敬する。あと景色好きだよ☆」です。長々クソみたいな記事ですが、まぁそんな感じで書きたい事書けたので終わります。