常在日常2

Livedoorブログで「常在日常」という日記ブログを書いていましたが、はてなブログへ移行しました。ブログタイトルの由来は常在戦場から。戦場ではないので日常にしてみるかという適当な思いつき。

地獄みたいな人間関係の中で何かが覚醒?しました

 

去年からずっと私自身の変化に驚いているのですが、私は色々と内面が変化していきました。

 

ご近所とのいざこざのストレスもかなり慣れ、以前ほど相手達に恨みや怒りが無くなりました。

 

 

本当の意味で精神が自立した感覚があり、主犯が周りにどれだけ難癖をつけて回っているとしても、今ではほとんど気にすることは無くなりました。

 

本当の意味で「争いは同じレベルでしか発生しない」ということがよく分かったような気がします。どれだけ貶し回られようと、どれだけ回りが主犯に同調しようと所詮同類だったのだろうと、生まれた頃からの付き合いのご近所さんたちへの情ももう一切ありません。自分の中で全てニュートラルに戻った感じです。

 

なんというか、執着を手放すことが上手くなったのでしょうかね?私が家の外に出ると玄関に入ったり一斉に窓を閉める嫌がらせをされても気にならなくなりました。(むしろ気が楽です。)

 

私の家は徐々に窓を堂々と開けて生活できる環境に戻ってきています。主犯や周りの悪口や難癖を恐れなくなってきたからです。というか、相手にしなくなりました。一人でも何を言われていようと反応することがなくなりました。

 

私の住む町では、いじめの主犯に同調する方が多いので多数決を考えれば、町で非常識な迷惑者は私の方です。

 

なので、いわゆる世間では私こそが非常識な人間なのかもしれませんが、私は私の人生を生きればいいだけなので、彼女達と道が違うのでしょう。批判されるのもまた私の人生であり生き方なのかもしれません。

 

私が正しいと主張する気もありません。どれだけ倫理、道徳を守っていてもそれが絶対に正しいというのはただの思い上がりだからです。人間は正しいだけでは成り立たない。

 

正しいか正しくないか、良いことか悪いことか、それは結局ひとりひとりの人間が考える事だからです。そして数が多いこの町のご近所いじめの世代ではいじめの主犯が正しいということになるのでしょう。

 

だからといって私も謝る気はありませんが。そもそも一方的に勝手に人をいじめ始めたのはあちらなので。苦情を言ったら逆恨みして、私を町から追い出そうなんて提案するような連中ですし。

住民もいじめの主犯を恐れて従っているわけではないようです。特に主犯と同年代の老人達は主犯がいない所でも態度がケンカ腰で反省の色はありません。

 

余談ですが、父親に話したら統合失調症を疑われました。まぁそうだよね。あの人達の異常さは自分で被害にでも遭わないと分からないよ多分。俺自身、書いててつくり話って言われそうだと思ってたし。

 

私が新しく書いているブログでは自分が実践しているメンタル改善方法を紹介していますが、あれもまた、私のエゴでしかありません。見方によってはひたすら近所の方への恨みを書いているブログにしか見えません。(実際そうではあるけど。)

 

 

色々と偉そうなこと言ってますが、私自身も一生を終えるまではまだ道の途中なので、この感覚も何か大きな嫌な出来事があればそのうち見失ったり、無くなってしまうのかもしれません。歳を取れば忘れてしまうかもしれません。

 

「人から好かれる善人か、それとも周りから嫌われる人間になるのか、捻くれた人間になるのか、どんな形であれ、それもまた自分の人生ですなぁ。」って感じで良くも悪くもありのままみたいな感じです。