常在日常2

Livedoorブログで「常在日常」という日記ブログを書いていましたが、はてなブログへ移行しました。ブログタイトルの由来は常在戦場から。戦場ではないので日常にしてみるかという適当な思いつき。

「普通」になりたい願いを捨てた話

私は今まで順風満帆とは無縁の人生を送ってきました。

 

幼い頃からいじめられ、専門学校から大学へ途中進学し、いじめっ子と縁を切り、会社に就職するも、全く合わず。

 

フリーターやバイトをしながら自衛隊に受かり、行った横須賀基地で軍医に最終診断で落とされ、再びバイトやフリーター暮らし。

 

そして母の実家の家と遺産相続。

 

県外の父と義母を除き、身内を全て亡くした私が戻ってきた、生まれ故郷である母の実家を相続しました。

 

生まれた頃や幼い頃から近所に住んでいるご老人方から一方的ないじめ(おそらく妬みや僻み。今までなかったが、相続してから始まったので。)が始まり、自殺未遂と人間不信でほぼ引きこもり同然になり、6年コツコツ立ち直ってきて今に至ります。

 

周り近所とは完全に縁を切り、自分の人生を取り戻している最中です。

 

37年の人生のうち、17年は他人のいじめを受けている人生です。

 

「人生は不思議だなぁ」と今も実感しています。

 

そして幼い頃の自分の夢を思い出しました。

 

私は昔から人や環境に馴染めず、ずっと「普通になりたい。」と願いながら生きてきた人間です。「どうしてみんなと同じようにふるまっているのにうまくいかないんだ」と悩んだ事は数えきれないくらいあります。

 

周りと同じように子供の頃に将来のなりたい職業を決め、普通の人生を送り、安定した暮らしをする。

それがイメージできないので提出するのが毎回大変でした。自分の本心を捏造して誤魔化して、将来を決めました。本当は全くなりたい職業などなかったのですが、宿題だからしょうがない。

 

「なんで職業に決める必要があるんだろう?なりたいものはないのに。やりたい事は職業じゃないのに。」(まぁ教師は教師の事情があるし、人間は雁字搦めですな本当に。)

 

結果的に私は社会に出ても馴染めず、正社員を辞め、フリーターや派遣になり、無職になり、自分で稼ぐ道を模索しています。メルカリ販売やクラウドワークスの記事作成、アフィリエイト、株、投資信託など、色々試して不安定な稼ぎですが、毎日生きている実感があります。

 

周りに合わせて生きていると、我慢の毎日でした。どう振舞うのか、人に嫌われたくないなど、縛られた息苦しい生活で生き辛いのは今もです。現在の縛られた世界が好きではありません。

 

まるで鎖で縛られたような生き方が合わなくて、ただそこから外れただけで、悪であるかのように叩く風潮が嫌いです。周りに迷惑をかけずに生きていても、どうして叩かれなければならないのでしょうか?

 

「空気を読め。」「周りに合わせろ。」確かにその方がいい場面もあります。しかし、自分の意見を言いたい時は言えばいい。周りがめんどくさがるのは周りの自由だし、自分の意見を言いたい人が言うのはその人の自由です。意見を聞き入れるのかどうか、それは多数決で決めたりする事であり、それが本当の意味で多様性です。

 

今の世の中は嘘や誤魔化し、印象操作でその多数決を操作していて好きではありません。最初から偏っている世の中です。

 

小学校に上がってすぐ、昼休みを過ぎて授業が始まっても、遊んでいたのを覚えています。周りの子供たちが先生に叱られて泣いているから、自分も真似して泣きました。

 

それが普通の子供だからです。この事は今でも覚えています。(まぁ今なら時間を過ぎたから怒られて、悪いことをしたと実感したから周りは泣いているんだなと分析済みですが。)

普通の子供がどういうものか分からないから、周りの真似をして普通に生きていました。

 

それでも周りからは「変わっているね。」「マイペースだね。」「天然だね。」「自分の世界を持っている。」と言われてきました。

 

正直な話、「普通」に生きてきたのだから、そう言われるたび、自分の中では意外でした。どうしても「普通」と思われないのが不思議でした。

 

「普通」って何だろう?「普通」の子供は将来の夢を持って、それに挫折してサラリーマンになって、結婚して家庭を持って、「普通」に暮らしていく。

「普通って大変だなぁ」と、今でも考えます。そして、「私には合わない」と。

 

私の本当の夢は、「時代の変わり目を体験したい」という事でした。大人に制限された夢ではなく、私が心から子供の頃に願った夢はこれでした。職業ではありませんでした。世の中の「普通」に私の欲しい答えはありませんでした。

 

だから、幼い頃から生き辛くて仕方なかったです。「普通の夢を持って、普通の子供を生きていく」という事はすごく難しいし、辛いことでした。

 

しかし時代の変わり目、これはインターネットの出現、そして現在の世界情勢など、小学生の頃の夢は既に叶い続けています。私自身も変わり続けています。改めて私は、本当の夢を考えました。

 

その結果、「心の向くままに生きる」。これが本当の夢だと思います。やはり職業の中に、誰かの用意した選択肢の中に私の夢はありませんでした。

 

安定した生活、固定の給料。普通に働いて普通に歳を取り、老後を楽しむ人生。私はそれが無意味な事は知っています。身内を散々失ってきました。

 

私の叔父は高校卒業から60歳で定年するまで働いて、64歳で亡くなりました。あと3か月、生き長らえれば年金を受給でき、さらに安定した暮らしで毎日好きな趣味を自由にできたでしょう。

私も遺族年金が出て今よりさらに楽に暮らせたでしょう(おい)。

 

その安定は肺がんにより無くなりました。そして叔父は独身だったので、叔父の妹である母の一人息子の私が相続をしました。母の実家は皆亡くなりました。

 

私が相続し、私をよく知らない人や、友人から見れば私は、「安定を手に入れた勝ち組」に見えますが、今度は周り近所の知り合いのいじめが始まります。

 

人は、いつ災厄が降りかかってくるか分かりません。「安定した人生」って何ですか?「普通」って何ですか?

仮に普通や安定を手に入れても、それを突然一方的に他人に壊された私の「安定した人生」はどこにあるのですか?「普通の日常」はどこにあるのですか?

 

私のように他人に壊されるのではなく、突然の災害によって「安定した人生」を壊される方もいます。

様々な災害を見てきて、未だに「安定」した人生なんてあると思いますか?

 

 だから、

 

私は好きに生きることにしました。そのためなら孤独でいいと思います。

 

これ以上周りに合わせて生きるより、好きに生きる方が自分に合っています。人がいつ死ぬのか、いつやりたい事をやれなくなるのか、誰にもわかりません。明日と同じ今日は訪れません。

 

「ある日、体調が悪くて病院に行ったら、全身にがんが転移していた」「ある日、ずっと子供の頃から優しかった近所の知り合い達が、みんなで私の陰口や難癖付けを始めた。それが今では当たり前の日常になった。」

全て私と私の身内の実体験です。

 

私や私の身内は、突然、普通も安定も奪われたのです。我慢して生きて、何もやりたい事も出来ずに終わるのは、「何のために生まれて、何をして喜ぶ?分からないまま終わる、そんなのはいやだ!」と強く思いました。(あんぱんマン並感想)

 

私の家の周りの人間たちは私をそもそも「人間」だという扱いをしなくなりました。自分達の頼みを聞かないなら陰口悪口を流し、仮に聞いても自分達がなんとなく気に入らない部分を見つけ、誇張して陰口悪口を流します。(家の前で井戸端会議されたら聞こえてますからね。)

 

最近知ったのですが、町で私は(悪い意味で)有名なようで、私の住む町の学生や主婦は私を知っている方が多くいます。(当然私をいじめる近所の主犯が、私を危険人物だと、自分の塾の子供達や取り巻きの主婦に流して主婦のネットワークで繋がっているようです。)

「あの人は人の顔を見ないことで有名じゃん。」と聞こえていないと思ったのか、学生たちが私を指差して話していました。「もうちょい気をつけなよ」と思います。

 

ちなみに私は相手達の名前すら知りません。会話すらした事がありません。

統合失調症だと言われたら確かめようがないので、私の妄想それまでですが、ただ、知らない主婦や老人達から地元のドラッグストアやスーパーなどで、異常に避けられたり、舌打ちされたり、罵倒されたり、すれ違う際に睨み続けられたりなど、地元を歩いていると時々遭遇する理由がストンと腑に落ちました。

他の町ではこのような事はほとんどないのに、地元の町でだけこのようなことに非常に遭遇する理由として「私を悪い意味で知っている人たちが多いから。」というのは納得できます。

 

結局は私のご近所さん方は「私」という存在自体が気に入らないのです。「若いのに遺産を相続した人生が楽な人間」として目障りだから、自分達の視界から排除しようとしているのです。私の生死を問わず。私の人生の背景を考えず。

 

要は妬みです。「人生を楽に生きて許せない」と主犯が言っていたように、人生の妬み僻みによる八つ当たりを一方的に「私」という若者に自分達の不満すべてを勝手に一方的にぶつけてストレスを発散しているのです。

 

 

そんな連中のご機嫌を窺って、人生の時間を無駄にして、やりたいと思ったことをしないというのはいずれ来る「終わり」に必ず後悔します。「あの時周りの目なんか気にしないでああしておけばよかったのに!」と。

 

私の人生の結果がどうなろうと他人にどうこう言われる筋合いはありません。私の人生は私のものです。誰かのものではない。

 

周りが笑おうと、私は生きていると、私自身が実感して死にたいです。生きている時にいろいろな経験をしたんだと胸を張ってあの世に行きたいです。「私は生きたぞ!」と自分に誇って死にたいです。

 

だから、これからも好きに生きていきます。もちろん、人に迷惑をかけることは避けていますが。