常在日常2

Livedoorブログで「常在日常」という日記ブログを書いていましたが、はてなブログへ移行しました。ブログタイトルの由来は常在戦場から。戦場ではないので日常にしてみるかという適当な思いつき。

死について考える

人は生まれ、そして死ぬ。これは誰にも変えられない事実です。
死ねば何も残らない。よく言われる言葉です。


私は疑問に感じます。果たしてそうなのでしょうか。
人の死後、有名人の場合は生前の様子がテレビまたはインターネット上などに残ります。
では、有名人でもない、普通の人はどうでしょう。何も残らないのでしょうか。

 

私は残ると考えています。人の死後、その人の事は誰かの頭の片隅に残ります。
出会った人間は誰であれ、記憶に残るものです。良くも悪くも、思い出せるかどうかも別として。

 

人の死後、その人自身には何も残らないのかもしれません。ですが、その人とネット上、もしくは行ったお店などで出会った方々には残るのです。


どんな人間の人生も、意味がないことはありません。例えば、数十年の引きこもりの末、亡くなり、インターネット上ですら人との繋がりがなくとも、全く無意味ではないのです。


それが良い印象か悪い印象か、それは分かりません。ですがその人の死は残るのです。そうして誰か達の記憶に引き継がれ、引き継がれた人の教訓として、次の誰かに繋がっていきます。

 

私自身の経験からもそうです。私は友人、母、祖父母、叔父、を亡くし、父は現在再婚し、他県で暮らしています。
私は母の実家である一軒家と叔父の残してくれた遺産を引き継ぎ、父にも遺産を分け、古い我が家の補修や修繕をしながら一人で暮らしています。

 

相続して数ヶ月遺品整理の最中などから、子供の頃からの知り合いのご近所さん達(60~70代くらいの方達と新しく引っ越してきた若い方達)から監視、難癖を付けられ始めて随分苦しみましたが、今は大体立ち直って、失った人生の年月はどうにもならないし、ある意味いい人生経験だったし、他の誰かが犠牲にならなくて済んだと少しずつ考え直し、新しい生き方を模索している最中です。

 

身内が亡くなり、さらに幼い頃から「大人として」信用していた方達からの理不尽且つ一方的な誹謗中傷で(おそらく妬みや僻みによるもの。私以外の身内がいる時はそのような事はなかったため。)、自殺未遂と人間不信に陥り言葉で簡単に説明できないほど何年も苦しみ、社会復帰すら困難な状態まで陥りましたが、彼女達に同じような報復は今もしていません。

 

それは私の周りにいる皆が幼き日に私に見せてくれた「人間としてのあり方」の道徳や倫理、生き方を見て学んできたからです。未だに許せず、された事への怨み、怒りや憎しみも残っていますし、突然怒りを思い出し夜もなかなか寝付けない苦しみなどもありますが、様々な対策や考え方を変えて大分改善されました。

 

亡くなった身内や人々との関わりから学び考え、生きて様々な経験を積み、新しい生き方、働き方を探している私があります。

 

今も彼女達のような相手の陰口悪口や難癖を付けてくる連中に、同じやり方や報復をしないのは、私に諭してくれた母や、同じような報復をやり返さなかった人達の生き方や対応から教わったからです。

 

どんな人であろうと、「人が生きていた情報」は誰かの記憶に残る。そしてそれは今も生きている誰かに繋がっていく。そうやって人類はここまできたのだから、私は、死は、悪い事ばかりではないなと今は考えています。恐れて遠ざけるだけでは、何も知らないまま終わってしまう。

 

私もどんな形か分かりませんが、いずれ死にます。いずれ来る自身の死を避けようが無いなら、誰か知らない人達の役に立つのなら、それは社会貢献であり、人類全体への貢献でもあると考えた方が気楽ではありませんか。

 

だからこそ人は生きているだけで(情報として)価値があるし、その人生は尊いものだと感じます。(自分に危害を加える人々を尊敬する気はありませんが。それはそれ。これはこれ。)