常在日常2

Livedoorブログで「常在日常」という日記ブログを書いていましたが、はてなブログへ移行しました。ブログタイトルの由来は常在戦場から。戦場ではないので日常にしてみるかという適当な思いつき。

金持ちは幸せか?

私の人生経験から出した答え。給料手取り12万、家賃2万8千円、駐車場wifi携帯その他諸々で毎日結構ハラハラドキドキだった暮らしの後、一軒家と数千万円の遺産を急に相続し、金持ちになった経験を持つ私が出した答えです。

 

答え 金持ちは、やる事があるなら幸せです。

 

はい、お金の明確な使い道、もしくはやりたい事が決まっているなら幸せです。これが答えです。人はお金だけあっても幸せにはなれません。むしろ不幸になります。

 

周りからの嫉妬による嫌がらせ、何も無い自分への劣等感、地獄です。お金があっても減るのに恐怖する日々。自分の力で稼ぐ能力が一番大事な事だと実感します。(バイトや派遣といった受動的な事ではなく、自分にスキルを身につけるということ。)

 

本人の悩みとは異なりそれとは別にたかりに来る人達。他人は人の事など何も省みません。それは、たとえ何十年の付き合いがあっても、大金の前では人の信用は紙切れ以下です。

 

「こんな恵まれた奴はむしりとられて当然なんだ。人生を楽に生きやがって!許せない!」と、本心を笑顔で隠してお金を使わせようとやってきます。

 

なぜなら、遺産相続した私を自殺未遂と人間不信に追い込んだ周り近所の主婦達は、みな、私の祖父母の代からの知り合いで、中には私が生まれた頃から知っているご近所さんもいます。

ずっと一軒家で専業主婦、さらに今も年金だけで生活でき、自分の子供や孫が毎回遊びに来て、総合的には私より遥かにお金をもらっている方々が、私が一人自分の母の実家と遺産を相続したら、いじめを始めたのですから。(詳しくは他の記事を見てください)

 

なんなんでしょうね?ちょっと考えれば分かると思うのですが。私は遺族年金ももらえないし、引き継いだ遺産でやりくりするから減っていくお金の方が多いのに。

自分達は年金もらえるわ家族や友人が遊びに来るわティータイムやらタクシー使って遊び歩けるわで、「お前らの方がよっぽどいい生活してるじゃねぇか・・・」ってこっちは思ってるくらいです。

 

世間知らずだからドラマみたいに一生遊べる金額の遺産とでも思ってるのでしょうかね?豪邸でもない同じような大きさの一軒家なのに?その遺産を全部自分のために使えるわけでもないのに?

 

まぁ私の愚痴は置いといて、彼女達は 結局お金があっても、莫大なお金を持っている人間を妬んで僻んで叩くのです。本人の実情や内心なんて目も向けません。人間扱いさえしていません。もちろん、私も彼女達の家庭の事情なんて知りませんので、誹謗中傷をする気はありませんが。(だから自分のブログで書いています。ブログを書いていることを彼女達は知りませんし。)

彼女達はいつまでも人と自分を勝手に比較し続け、他人の粗探しをして自分より下に見ようと必死で終わりがありません。老人になってもずっと、自分と比較し続けているのです。

 

未だに老人になってもそんな事をしているのだから、おそらく生涯続けるのでしょう。彼女達の周りには私と同い年か年下の主婦もいます。受け継がれていくのでしょうね。終わりのない妄想の他人叩きは。

 

お金を何のために使うのか。確かにお金があれば生活の不安はなくなるでしょう。しかし、人はやる事がないと堕落します。これは私自身の経験と、周り近所の主婦を見れば明らかです。「人としての品格」が落ちていきます。

 

何のために生きるのか。目標を自分で作らないと周りに取り残されてしまうのです。そしてその答えは自分自身で探す必要があります。

 

漠然と「金さえあればいい」という考えは世間体、生活、周囲の目を気にしてずっと終わらないのです。そういう方は相手に叩く理由を勝手に見出したという理由をつけて、攻撃し始めます。

 

ずっと周りからどう見られているか、どういう評判なのか、自分の軸がないため、周りを常に気にします。そして周りを貶し始めます。どんどん視野が狭くなり、自分を正当化し続けていくのです。

 

お金が自分自身の望みや願いの答えなど持っているわけがないのに、際限なく求めたって心の不安や渇きは満たされないのです。第一、何のためにお金が必要なのかは生きていくうちに理由が変わっていくものです。人生は常に変化していくのですから。

 

 

 

余談ですが、私は親から陰口は良くないと教えられている事と、筋トレで強い体を作る、もっと早いタイムを出すなど、自分自身を磨くことを目標にし続けて立ち直りました。そのため幸いにも、近所の主婦達のように複数人で常に周りを貶したり、攻撃する人間にはならずに済みました。相手が攻撃してこない限り、私は何も自分から攻撃する真似はしていません。これは相続前からずっとそうです。

 

苦情を言っても聞かないので、呆れて相手にする事もなくなりました。彼女達の声が聞こえて来たらヘッドフォンをして聞こえないように自分で彼女達と同じレベルに落ちないよう対策を取っています。今後も関わる事はありません。私の中では既に縁を切っています。今はHTMLの勉強をしつつ、バイトをしたりしています。

 

次の世代達に、せめて人格だけでも恥じない人間であろうと考えている事が目標となっているため、彼女達のように常に周りの難癖探しをして、自分より下に見ようとする考えにはなりませんでした。

というか私自身が人に文句をつけられるほど立派な人間ではないですからね(笑)

自分の内面をまだまだ磨く必要があります。

 

私は相続当初、「これは叔父が残してくれたお金だから大切に使おう。俺を生かしてくれてありがとう。(叔父は独身で相続人が母の息子である私しかいなかった。現在の私の身内は父のみで、父は再婚し、別の県で暮らしているため相続人は私一人だった。本人も私を指名していた。)」と心の中で感謝し、思いっきり贅沢しようとも、生活水準を上げようともする事もなく、あえて言うならアパートで払っていた家賃の分、食費に使えると、弁当や自炊の量を増やしたくらいです。あとは外食。

 

そして父にも遺産を分けて、残りはそのまま引き継いだ投資信託や株、家の補修費用として、現金はあまり通帳に残さず、暮らすようにしています。このままだと普通に老後入ったらお金が少ないなんて事態もあるので、稼がないとな~。

元々ワンルームアパートで貧乏暮らししていたので、今の生活でも十分幸せを感じています。

 

私はいくらでも日常から幸せを実感しながら生きることが出来ます。というよりそうやって生きてきました。来月の家賃が払えるか分からないくらい貧乏な時のスーパーの安売り、米や納豆など栄養あるものの安さ、先輩がお金を貸そうかと心配してくれた事、20代の頃会社を辞めて一人旅で北海道から沖縄をブラブラしていた頃、山のバスが終了し、5時間歩いて夜の峠を下山し、電灯の心強さを実感した事、北海道でホテルの予約も取れず、飛び入りにも関わらず、受け入れてくれた民宿への感謝、旅先で車のトラブルを助けてもらった事、山での水の有り難さ、重要度、休憩所や雷雨の山小屋、バイト先の経営が厳しい中、給料を上げて貰えた事など、私は今までの人生経験の中で、挙げればキリがないほど、人やサービス、自然、当たり前にある日常の有り難さをたくさん実感してきているからです。(人生を振り返ると、まるで「何かの存在」が私に様々な経験をさせようとしているのではないかと強く感じます。)

 

最近は彼女達に対して「(中身は)子供のすることだ。」と、頭だけでなく、心が受け入れました。「外見は大人でも心が子供の人間」と言うものをようやく心で許容できるようになった感じです。

知識で相手にしないのが一番だと分かっていても、なかなか受け入れられず、反応してしまっていたのですが、最近はあの老人達や主婦達に何も反応しなくなりました。スルーして相手にしていません。(彼女達は私を見るとすぐ家に入ったり、ものに乱暴に当たったりと自分がいかに不機嫌か伝えようとしていますが。早く大人になってほしいものです。)

 

お金自体に特別な意味はありません。意味を持たせるのはいつだって人間です。自分や周りの保険などで残すもよし、それ以外は自分で稼ぐもよし。いずれにせよ、際限なくお金や欲望に固執して、人間として本当に大事なものが見えなくならないよう、日頃から意識して生きたいものですね。