常在日常2

Livedoorブログで「常在日常」という日記ブログを書いていましたが、はてなブログへ移行しました。ブログタイトルの由来は常在戦場から。戦場ではないので日常にしてみるかという適当な思いつき。

いじめの正体について考える。

教師のいじめ問題が世間を賑わす中、ふと、疑問に感じた事があります。それは、なぜいじめが起こるのだろうか?と言う事です。私なりに考えてみました。

 

 

いじめられる側に問題があるのは本当か?

 

いじめをする側に多い考え方が、「相手が悪い!」という考え方です。一つ疑問があります。いじめをしてくれと、いじめられる側はあなたに頼みましたか?自分を攻撃してくれと言いましたか?

 

あなたが始めたんですよ?あなたに責任があるのです。

 

例えば、短気な人がいて、周りに当り散らす。周りは当然嫌な気分になり、陰口、悪口、無視などを始める。よくある話です。いじめられる側に原因がある。そういう方もいらっしゃるでしょう。

 

しかし、考えてみてください。短気な人が、周りに当り散らすのは、短気な人の行動で、短気な人に責任がある。

そして、それに気分を害し、周りの人が陰口、悪口、無視を始めたのは、周りの人それぞれの行動で、周りの人それぞれに責任がある。

 

どちらも、「自分の始めたこと」です。その「自分の始めたこと」に対しての責任は、互いにはありません。自分にあります。短気な人に不満があっても、陰口、悪口、無視を始めたのは周りの人です。このことに関しては、「短気な人が悪い!」という理屈にはなりません。

 

何が言いたいかと言うと、当人同士の問題なのに、当人以外を引き込んで1対多数の状況にして、自分の責任を曖昧にするなと言う事です。

 

当人同士の問題を、当人と人々の問題にするからいじめが発生するのです。私の考えるいじめの正体とは、「自分自身の問題から目を背け、他人に押し付けている人々」です。

人は集団になると、倫理や道徳が薄れる。個人ではなく、「誰か」と言う特定されない存在になるからです。

 

分かりやすくApple pencilでipadに書いて、スクショを撮りました。意外と漢字も細かく書けます。ホワイトボード感覚で使うのもありですね。

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自分が正しいと信じたいから周りに同意を求める、同意を得れば自分は正しい事をしていると、次第に過激化する。自分が巻き込まれたくないから同意する、いずれも押し付けあって他人のせいにしています。

他人が自分の答えを持っているわけがありません。自分自身と真摯に向き合って、自分で見つけるものです。その答えを人に押し付けても何も解決しません。ましてや罪悪感から逃れるために他人の粗探しをしても周囲を傷つけ、孤立するだけです。

 

 

いじめと愚痴の違いは何なのか?

 

ちなみに、ネットで意見に対してそれぞれ不満を投稿するのはいじめになりませんが、いじめの場合もそれは変わりません。本人にそれが伝わらない限りは。ただし、本人に陰口、悪口などが伝わって、本人が傷ついているのなら暴力と同じです。相手の体、精神への暴力です。

 

例えば本人のいないところで、プライベートの飲み会などで世間話の一環として、その人への不満を漏らすのはただの愚痴で、いくらでも構わないと思いますが、本人と同じ職場の中などで、それが本人に伝わったり、見える範囲で陰口悪口を言っている素振りなどがその人の生活態度や精神に悪い影響を及ぼすのはいじめの始まりになると考えています。

 

線引きが難しい問題ではありますね。いじめられる本人に目に余るほど問題がある場合もあって、注意しても聞かない事もあったら始まってしまう事もありますし。個人でその人が嫌いという人がたくさんいて、いつの間にかいじめと同じ状況になってしまう事もあります。(いじめが始まってしまっても、前述したように始めた側に問題がありますが。)

 

肉体、精神に関わらず複数で一方的に暴行する。私のいじめと思う定義は、要はリンチ(私刑)を特定の人物へ継続的に行うことがいじめだと思うので、ネットで意見に対して文句があるなら構わないけど、意見を書いていた方への複数回の人格非難は暴行になります。 また、何か行動を起こす度に毎回批判を行うと(いわゆる粘着行為)精神へ攻撃している事にあたります。商業用ならともかく、個人のサイトやツイッターなどによく見られる行為ですね。

それとは別のケースで、意見を言われた側が、自分自身を否定されたと勘違いして(考え方が違うだけなのに、それを人格非難と受け止めてしまう)、いじめと捉える方もいるので難しい事とは思います。(ハッキリ言ってしまえば、人によって異なる基準が存在する上、心が読めないので間違えないのは無理かと・・・)いずれにせよ、「口は災いの元」ということですね。

 

いじめる人間にならないために何が出来るのか

 

人間は弱い。私自身も至らぬことが多数あり、迷惑をかける事もあります。心の中で謝罪をすることも多いです。弱い人間と言う自覚がありますし、改善を日々心がけています。

極論となってしまいますが、もしも自分のしている事がいじめかどうか分からなくなってしまう方は、「自分がされたら嫌な事は、人にもするな!」ということを心がけ、相手の表情を見ながら、少しずつ改善してはいかがでしょうか?

いじめを受けた人の心は、表面上は回復しても、数年後に夜、眠る時に突発的にフラッシュバックして眠れなくなる事もあります(私自身も経験があります)。

 

時には自分がいじめる側、いじめられる側になる事もあります。人間同士の関わりである以上、これは誰にでも起こる問題です。大事なのは事が起こって、その先自分はどうするのか、です。 いじめに加わるか、加わらないか、やりすぎた自分を反省するのか、そのまま流されるのか、決めるのは自分自身です。人の意見があろうと、自分の行動を決めるのは自分です。

 

いじめる側も、いじめられる側もまずは、自分に起こる嫌な事、辛い事から目を逸らさずに、まずは「意見」と「誹謗中傷」の区別を始める事、そしてそのストレスを受け流す方法を探す事をおススメします。